切支丹殉教記念碑建立・設置趣意書


 「信教の自由」は、人間にとって侵してはならない内面の自由に関する重要な事柄であります。
 しかし、わが国では、過去において、幕府の権威の下に、特にキリシタンが、キリストの教えを信じたということだけで弾圧され、処刑されたことは、公の歴史的事実であります。

  1587(天正15) 豊臣秀吉 禁教令を出す
  1597(慶長 元年) 秀吉の治政・日本26聖人殉教
  1613(慶長18) 徳川家康 第1回禁教令を出す

  1628(寛永 5) 徳川家光  踏絵を実施
  1637(寛永14) 島原の乱
  1638(寛永15) 幕府 全国に訴人褒賞制を実施


このような一連の全国に亘る厳しく徹底的な弾圧の中、津藩においても2代藩主藤堂高次の治世に、幕府の命を受けて、厳しい弾圧が実施されました。

 1638年(寛永15年)には、津城下の中島五軒町東側の屋敷に住んでいた三百石取りの武士 中島長兵衛とその妻、子ども2人が、津城内の「丸ノ内式部蔵の前」或は「式部倉と云所の空地」 (現在の津市役所構内 お城西公園の広場付近) において逆磔(さかさはりつけ)等にされて処刑されるなど、寛永年中における一連の取締、処刑の状況が、藤堂藩史料である「公室年譜略」及び「視聴混雑録貞巻」に記録されております。 

これらのことから、キリスト教関係者からは、「信教の自由」が全人類に永久に保障される証しとして「殉教記念碑」の建立が強く求められている処であります。 

時を同じくして、平成17年4月1日 「津・お城の会」が発足され、“津のお城の歴史と文化を検証するとともに、それを後世に伝えるため保存の取組みなどをしていく”ことを目的に、活動が開始されました。

私共は、この時に当り、藤堂藩藩政の光と影の部分を歴史的に明らかにし、その事実の上に、未来に向かって、よりよい社会を築いていくことが大切であると考える者であります。

「信教の自由」は、全人類に保障されなければならない最も大切な権利であります。このため、“幕府によるキリシタン弾圧の歴史を心に刻み、信教の自由が全人類に永久に保障されることを願って”、中島長兵衛夫妻とその子どもが処刑されたと記録されているその場所に「切支丹殉教記念碑」を建立・設置しようとするものであります。

特定宗教の記念碑という視点ではなく、日本及び津の歴史的、文化史的視点の中で建立・設置しようとするものであります。

  平成17年5月15日

                             切支丹殉教記念碑建立委員会

                                 委員長   ロバート・ネリグ

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